FADO
ファドへの誘い
フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、アルゼンチンのタンゴ、黒人のブルース、それらと同じ様にポルトガルにファドという歌がある。社会の下層民の生活の悲しみ、よろこびを即興的に歌う歌として、19世紀始め頃からポルトガルの港町リスボンで歌い継がれて来た歌である。その起源については、船乗りの歌、島流しにされた囚人の歌、アフリカから奴隷としてブラジルへ連れて行かれた黒人の歌等、様々な説がある。学術的には、1800年前後にポルトガルやブラジルでさかんに歌われた感傷的な歌謡モディーニャと軽快な踊りルンドゥーがファドの形式の基盤になっているといわれている。アラブ、アフリカの民族音楽、中世吟遊詩人のトルバドール、ジプシー等、港町として栄えた町ならではの異国の香りを含んだ歌である。
その背景は、アルゼンチンのタンゴや、フランスのシャンソン、アメリカのブルースとよく似ている。
ファドが世界的に知られるきっかけになったのは、1954年のフランス映画「過去を持つ愛情」の中でアマリア・ロドリゲスが歌った「暗いはしけ」である。海へ出たまま、帰らぬ人を待ちわびる女の歌で、その歌を聴きたいがために何度も映画館に足を運んだと言う人がいるほど、悲しみを含んだアマリアの声が有無をいわさず心に染み込んでくる。
馳せた夢と共に大西洋の向こうに沈む夕日、間もなく夜の闇がその夢に浮かされた熱い心をやさしく包み込む。
ほの暗い路地裏から、生糸が擦れ合うようにポルトガルギターの音が聞こえてくる。押さえきれない喜び、悲しみ、悔しさがしぼりあげられ、呻くように石畳を這い出す。鰯を焼く煙、生活の匂い、しみ、それらと混じり合いながら、ファドが聞こえてくる。様々な思いを重ねて人々はファドを歌い、ファドに酔いしれる。悲しい歌ではあるのだけど悲しみを突き抜けた一種おおらかな力強さが、貧しくともつつましく寄り添い合い助け合い生きてゆく民衆の逞しさが、ファドにはある。
人生に躓いた時、ふと立ち止まった時、聞こえてくる歌。それが私の中のファド。
時代が変わっても、歌われる詩が変わっても、歌い回しが違っても、人々の背伸びしないあるがままの鷹揚さと、人への慈しみ、失われたもの達への憂いがそこに生きる人達の心に息づいている限り、ファドは私たちを魅了し続けるだろう。
人は自分の悲しみ、思い出、喜び、憤り、様々な思いに重ねてファドを聴く。
言葉というより感情のうねりの中に身を沈め、委ねてファドを聴く。
まるで波間の小舟のように。
月 田 秀 子
ファドは、ポルトガルの港町リスボンで生まれた歌である。
ファドの心は サウダーデSAUDADEという言葉に象徴される。
遠く離れてある故郷
別れた人
成就しなかった愛
もう会えなくなった人
取り戻せない過去
失ってしまったもの
そうゆう人や物に寄せる思い
懐かしくも やるせなく 身を焦がすような想い。
そのような想いにポルトガル人は サウダーデという言葉をつけた。
その想いをファドに託して歌い
聴くことによって
その悲しみを乗り越えてゆく。
それは、
生きてゆくために名もなき人達が生み出した知恵なのかもしれない。
人生に傷つき 孤独で悲しい思いをしているのは、
決して自分だけではない。
人々はファドを通して悲しみを共有する。
そして自らの運命を受け入れる。
FADOという言葉は 運命・宿命という意味を持つポルトガル語でもある。